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2019-05-15

GOつくる大学のこと

普段のアトリエから離れて、「GOつくる大学」という場で、時々、講義をさせていただいています。大学といっても先生だけが講義をつくるのではありません。参加者の方たちと一緒にお互いに学び合いながら講義をつくりあげていく、誰でもが先生でも生徒でもある、新しい学びの場です。

私が担当しているのは、「一人ひとりのアート学」という講義です。「アート」と名前がつくとなんとなく身構えてしまうかもしれませんが、着たり、食べたり、住んだりすることと同じ並びにある、自分にとって無くてはならない「こころのうごき」と捉えてみませんか、ということをお伝えしたくて講義を行っています。先日4期目の講義がありました。6歳から80歳の方、12人が参加してくださり、一緒に講義をつくっていきました。

1限目はご挨拶。はじめにアトリエでのダウン症の人たちの制作の様子をスライドでお伝えするようにしています。ダウン症の人たちの感性を丁寧にお伝えすることで、感じるままを表現してみる、身構えずにゆったりと楽しい気持ちで描いたり作ったりしてみる、というエッセンスを共有したいからです。お伝えすることで、「うまく描かなきゃいけないという枠がとれた」、「とらわれず自由でいいんだな」、「ダウン症の人を見る目が変わった」という嬉しい声を聞かせていただくこともできました。

2限目はデカルコマニーでカード作りです。指を使って絵の具を塗りつけた紙を半分に折って転写させます。デカルコマニーの面白いところは、思った通りにならないところです。絵の具が混じったり潰れたり、紙を開くと、葉脈のような筋がうきでて、思いもよらぬ左右対称の模様が現れてきます。描こうと身構えなくても、絵の具を指でぽんぽんとおいてペタッとしてみる、遊びの感覚で絵ができていきます。
 

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指では物足りず、チューブから直接だしてみたくなった。大作に挑む。

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きれいな色のならび。あえてデカルコマニーにしなくても。
 

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小さな指で丁寧に一つずつのこされた点。息づかいが伝わってくるようです。

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こんな風にするのはじめてよ、と。

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シンプルな手法でもできたものはそれぞれ。

 

3限目はコラージュで封筒作りです。たくさんの展覧会のフライヤーの中から、自分の気になった絵や写真や文字を切り抜いてはりつけていきます。メッセージを送る相手をイメージして、大事につくっていきます。

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ひまわりを切りたい。
 

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肖像画の中身をくり抜いて、お弁当にするそうです。

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ビビッドなピンクで名前を刻んで。

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真剣な眼差しが美しいです。

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切り抜いたフォントのデザインがきわだっています。

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草間彌生とミュシャの作品の一部を切り抜いて。ポップさとエレガント。

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繊細さが伝わる封筒でした。
 

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コラージュとドローイングでとっても素敵な封筒に。ABMTは私だけのサイン。
 

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床の上で仕上げ。かっこいいのができたね。
 

4限目は静かにメッセージを書く時間です。お父さんに、お母さんに、友達に、こどもに、未来の自分に、パートナーに。こころの声をつむいでいきます。
 

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重ねてこられた時間の重みと、日々を尊く感じられる気持ちが伝わってきます。

 

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お互いにむけて書きあいっこです。
 

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お友達にむけて、何通も書きました。シンプルなメッセージが胸をうちます。
 

5限目はみなさんの作品を壁に展示して、鑑賞の時間です。ひとりひとりの感性を感じあって、気持ちを共有していきます。手を動かして感じたこと、誰を想ってつくったのか、自分の中のストーリーを1人づつ作品の前で発表していきました。わずか30分間だけの展示ですが、それぞれの物語とあいまって、それはそれはあたたかくて素晴らしい空間になりました。

最後はメッセージを書いたカードを自分の大事な人に渡すというのが帰ってからの宿題です。時間がかかってもいい、郵送でもいい。今日の気持ちをきちんと渡して、授業はおしまいです。

この講義全体を通してお伝えしたいのは、誰しもが自分を内側から支えているこころの営みを持っていて、それが一人ひとりのアートだということです。講義では自分にとって大事な人にメッセージを書いて渡すことがゴールです。誰しも、家族だったり友人だったり恋人だったり、想うと胸があたたかくなるような、愛おしいような人っているものだと思います。その人を想っていることは、自然と自分の支えになっていること。そこに表現(デカルコマニーカード、コラージュ封筒、メッセージ)という光をあてることで、想いは手に取れるものになり、手渡すことでギフトになっていきます。

そこにアートの原始的な姿があると思うのです。

私にアートということを教えてくれた先生は、自分のための小さな作品をつくることで、小さなヒントのようなものを残せたらいい、と伝えてくれました。
「自分だけのこころの姿を人に正確に伝える術を手にすることができるように。」
「おそらくは人のつくりだすものが、もう『作品』とか『芸術』とか呼ばれることのないように。」
私が講義をする時にいつも頭の隅においている言葉です。

社会的立場を脱いで、裸になっても、なおもにじみ出るその人らしさ。その人だけの感性。それはパートナーであっても、親子であっても、友人であっても、誰も手を加えることのできない自然の領域に近いもので、その人がその人たるかけがえのないゆえんです。

一人ひとりの感性を感じあって認める場、自分だけのこころの姿を人に伝える場、それが、「一人ひとりのアート学」なのです。

 

 

 

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