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2018-11-09

おばけだらけ

えいきくんがコドモクラスに通い始めた春の頃、表の玄関を入るのもやっとでした。古民家ゆえ建物に入るとちょっと暗くて、雰囲気もなんだか違って、それが怖かったのだと思います。アトリエは建物の一番奥にあって、ちょっとした渡り廊下を越えていくのですが、そこまで行けたとしても渡り廊下の手前でとまって、一歩ひいてはアトリエの中を観察していました。

廊下を超えて部屋の中に入れるようになってからは、好きなマイケルジャクソンの曲をかけて踊りました。えいきくんはマイケルになりきるのがすごく上手いのです。踊りの途中、横からすっと絵の具セットと紙を差し出してみると、ごく自然に筆をとって、踊りながらリズムにあわせて描き始めた時の静かな喜びは忘れられません。

こうやって少しずつ、少しずつ、アトリエとの距離が縮まり、表現することに慣れていきました。

初夏のある日、ふすまの黒板にのこされていた絵(りんたくんが描いたドラえもんの絵ですけどね)をみて、「このおばけだれがかいた?」「えいきくんねー、おばけしってるよ?ゆうれいとか」「おばけはね、こわいよ」とぽつぽつ話し始めました。「そうなんー?そのおばけ見たいな!」何かの糸口が見えた気がしました。

僕たちの間にあるルートはなにかなとお互い探り合っていたのだと思います。「おばけ」だとお互い分かったその時から、えいきくんの世界が一気に開いていきました。

 

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おばけの傘。さしたらいつもおばけと一緒にいられますね。

 

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アトリエに来るとまずは黒板を埋め尽くします。初期は丸や楕円だったおばけが、今やこうもりにもなります。

 

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「へんなのいっぱいでしょ?」

 

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「次は絵の具したい!」おばけのあしあとです。

 

こうしてえいきくんのリズムで、おばけの絵をたくさん描いてきました。描く以外にも、おばけを語り、おばけと踊り、おばけを作り、いろんな表現をしてきました。

一人一人の制作を見ていると、自分のこころの姿を人に正確に伝えるためにあるのがアートなのだと思います。人にこころの姿を伝えられたとき、その人に伝えられた安心感や、自分から手放せた開放感が得られるのだと。制作に立ち会うということは、こころの姿を伝えようとする過程に寄り添い、その人の世界を一緒に見てみるということです。自分の気配はまず消して。
それは「この景色、一緒に見たよね。」と別の世界にいったかのような、深く潜ったかのような、なんだか心地よい一体感に包まれる感覚です。私がえいきくんと一緒に見た世界は、こわくないおばけだらけの世界でした。この先、たぶん、消えて、変わっていくおばけの世界を、今存分に表現しきることを大事にしたいと思います。

一人の子の内にある世界はどれほどのものでしょう。その世界をまっさらな目でみていくと、きっと私たちにとっても新しい世界が開いているような気がしてなりません。アトリエの中心にいるダウン症の人たちも、そうでないこどもたちも、制作を通して新しい世界への切符をいつでもこちらに提示してくれています。こちらがその切符を受け取ることができれば、思い込んでたいたものがさらっと覆るかもしれません。おもしろいねと一緒に笑えるかもしれません。きれいだねって一緒にため息をつけるかもしれません。そのために、自分に素直に、相手に誠実でありたいものです。

 

 

 

 

 

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