昨日はこの冬はじめての雪景色、アトリエ横のお庭にも満開の白梅に降る雪がきれいでした。新しい年を迎えてからも、アトリエに通うみんなは変わらず元気です。アトリエカメラの中にはたくさんの「楽しい」がつまっていました。
絵も好き。絵の具をとばすのも楽しい。
粘土も好き。自然の素材と組み合わせて。
「今日は森をつくりたいの!」庭から草や実や枝や石を拾ってきて森のミニチュアを作っていきます。
制作途中に読んだ絵本から、ナマケモノのいる森に。
ぼくの街。ビル・エレベーター・立体駐車場・線路・休憩するところ
ひなちゃんが最近夢中になっているアートカード。自分のテーマを決め作品を選んで鑑賞していきます。
かずくんのギターはコドモクラスでも大人気。
絵の具と筆に慣れてたくさん遊べるようになってきたね。
大事なものをいれるから、よーく注意して運べるように。
どんな電車があったらいいかを考える。
小さい子どもも楽しめるように、ドアの下半分はガラス張りに。蓄電池と水素で走る特急電車だそう。
いつもこころに電車が。
興味のある素材やテーマ、その子のもつ体力や集中力、もちろんその日の気分も一人ひとりそれぞれです。一人ひとりまったく違う感性、それでも、みんなの根底に共通してる気持ちは「楽しい」です。楽しいから描く。楽しいからつくる。楽しいから伝える。大人が忘れがちな、ごくシンプルで原始的な衝動だと思います。コドモクラスをやっていると、毎回必ず1回は聞くセリフがあります。「いいことおもいつーいた!」です。この言葉が聞けたら、自分にしか分からない、きれいさやおもしろさに出会えたんだな、と嬉しくなります。アトリエカメラにたまったみんなの写真が、楽しくなくっちゃはじまらないよ?と問いかけているようです。それはまた、こどもたちが真摯に自分だけの楽しさと向き合える時間を大切にできているかな?との問いかけでもあります。
つい最近、98歳の現役アーティスト、柚木沙弥郎さんのお話会に参加した方からお話を伺いました。どうしてそんなに精力的に制作に向かえるのですか?との会場からの問いに、「だって楽しいからだよ!」と椅子から立ち上がって答えられたそうです。その無邪気な様子の向こう側に、「いいことおもいつーいた」と制作しながら笑う柚木さんを見た気がしました。
絵を描き続けること、ものをつくり続けること、表現をし続けることの原点をあらためて教わるこの頃です。
2019年もAtelier Sunoiroに参加して下さった皆さま、一緒にお仕事させていただいた皆さま、いろんな形でお気持ちをお寄せ下さった皆さま、どうもありがとうございました。
アトリエというこんなに小さな場でも、続けていくにはたくさんのエネルギーが必要です。何より現場に立つ自分がにごってはいけません。自分と息子たちを守るだけでも手一杯で、その上アトリエも守っていくことの大きさに震える思いでした。1人で始めたプライベートアトリエ、代わりになれる人がいません。もっと強くなりたいといつでも思っています。それでも。アトリエをやめようとは思えませんでした。この春で5年目を迎える小さなアトリエが、ダウン症の人たちにとって、それ以外のお子さんにとって、保護者の方たちにとって、大事な場所になっていると感じられるからです。
ゆっくりのペースで歩んできた2019年でしたが、大きな一歩は作品展ができたことです。梅雨の晴れ間の気持ちいい風がよく通る1日、たくさんの方々にお立ち寄りいただきました。「色がきれい」「心地いい」「穏やかな気持ちになれる」。作品を前に多くの方がリラックスされている様子に、私がアトリエでダウン症の人たちに感じているものと同じ確かなものを感じました。その光のような「確かなもの」をこれからも信じていこうと思います。
1年の終わりに時々の初心を。
ダウン症の人たちが自分のリズムで制作をすることで生きる活力へと繋がる場所であるように。彼らの感性が野花のようにあるがままで美しいことを感じられる場所であるように。ちいさくて、こころの通いあう、風が吹き抜ける場所を目指して。
2020年もどうぞよろしくお願いいたします。
新しい1年が皆さまにとって幸せな時間でありますように。
2019年最後の1日に
Atelier Sunoiro
栗山千尋
朝からよく晴れ渡った11月9日。津和野町左鐙にある「山のこども園うしのしっぽ」の収穫祭にアトリエも参加させていただきました。
うしのしっぽの子どもたちは毎日を山で過ごしています。牧場の周りの広いフィールド全体が子どもたちの遊び場です。ここには、山だからこその心地よさ、やさしさ、美味しさ、怖さ、不思議さ、凄さ、美しさを全開の感覚で受けて、瞬間をめいっぱい生きている子どもたちがいます。子どもたちの本来持っている力を信じて見守るスタッフがいます。山に抱かれるようにして一人ひとりが自分のいのちを刻んでいる、心地よい気の流れる場所です。
みんなが集う場所に光が降り注ぐ。
牧場の牛が出迎えてくれます。
ふれるとやさしくてあったかい。
山だから地面もまっすぐではありません。どんぐりに絵の具をつけて置いてみたら転がってできる線のおもしろさ。
ダイナミックに筆を動かしてみる。
ぼくの手。あらためて自分の手と出会っているような時間。
小さな足をぐっと踏ん張って懸命に筆を動かしていきます。
筆をぐるっとしてみたり、縦に動かしてみたり。自分の跡ができていく不思議。
絵を描いてたら色を混ぜたくなってきた。
ぼくも、わたしも、やってみる。
お日様の熱と2人の手のぬくもりで粘土もちょうどいいやわらかさ。
その手と眼差しに女の子の強い気持ちが感じられました。
うしのしっぽでは、子どもたちの一人ひとりのリズム、そして本来持っている好奇心や感性を何よりも大切にされています。今日どこでどうしたいのか。今この瞬間何にこころが動いているのか。大人のではない、子ども一人ひとりの軸があります。自分の軸で動いているということは、誰でもない自分を生きているということ。生きていく上で一番大切なことを毎回教わっている気がします。うしっぽファミリーのみなさん、ありがとうございました!
photo : tumugi's mom
今日は、もうすぐ2歳になるつむぎちゃんとお母さんが、はるばる山口より遊びにいらしてくださいました。
まっさらな目とこころのつむぎちゃん。アトリエに入れば、絵やかずくんのギターや筆や、なにもかもが目新しく、触っては確かめ、目を見開いて喜びの表情です。場に慣れてきた頃、薄く溶いた水彩絵の具でにじみ絵あそびをしました。3つのびんに入れた絵具が水にとけて、あか、あお、き、になっていく様子を見つめる真剣な眼差しは、色との出会いそのものでした。
大きめの筆をびんの中でかちゃかちゃ動かし、たっぷり色水を含んだ筆を目の前に掲げては、「うー!」という声。みつけたよ、みて、おもしろいよ、いろんな気持ちが聞こえてきそうな「うー!」でした。筆をびんに戻しては出して、戻しては出して。初めてちょん、と筆をつけたのは机の上でした。たしかに、紙に描かなきゃいけないなんて決まりはないですものね。机の上でちょんとしたり、線をひいてみたり、その延長で紙の上につながると、くっきりと色と線が残ることに気づきました。
そこからは、真っ白な紙に、まっさらなこころとつながっている手がのっていきます。筆をすーっと真横に動かしたり、ぐるっと回してみたり、誰でもない、今日のつむぎちゃんの作品がうまれました。
お母さんは、「つむぎが来てくれてよかった」とおっしゃいます。「名前のように、いろんな人とのご縁を紡いでくれている」と。ただいてくれるだけで嬉しい。そのままのあなたがいい。ダウン症をお持ちのお子さんにとっても、ご家族にとっても、アトリエは一人ひとりの素の感性を深いところから肯定する場であり続けたいと、あらためて思いました。
先日、アトリエにローカルジャーナリストの田中輝美さんが来てくださいました。輝美さんは、制作中もすーっと空気のような佇まいでなじんでくださいました。そんな輝美さんに記事を書いていただけたこと嬉しく思います。ありがとうございました。
島根県内のダウン症の人たちと、少しづつ、アトリエのリズムで出会っていくのもビジョンのひとつです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
田中輝美さんのHP:http://www.tanakaterumi.com/
前日までの曇り空がうそみたいにひっくり返されて、一日中晴れていた6月9日。「ふらり」という江津市で行なわれている年に一度の大きなイベントに参加させていただき、アトリエ初の展示を行いました。
10時のオープンとともに、現郵便局の局長さんが昔の配達に使っていた赤い自転車で立ち寄って下さいました。130年前も同じ光景が見られたことでしょうか。
そんな時間の積み重なった場所でアトリエ初めての展示をできたこと、街をふらりと歩くたくさんの方達にお立ち寄りいただけたこと、とっても幸せに思います。ありがとうございました。
展示をした江津市の旧郵便局がある通りは、目の前に浅い川が流れていて、晴れたその日はこどもたちがわらわらと川に降り、カニとりに夢中になっていました。それを立ち話しながらリラックスした様子で見ている大人たち。道端に出された幼稚園椅子に腰掛けて、冷たいメロンスムージーに笑いあう人たち。みんながちょっとゆるんでいて、楽しそうで、とってもきれいでした。
展示の様子、少し写真でお伝えしますね。
展示にお立ち寄り下さった方達からは、気持ちいい、かっこいい、ここに住みたい、居心地がいいなど嬉しい声を聞かせていただくことができました。あらためて、ダウン症の人たちの調和的な感性が持つ可能性を感じます。それは健康的な力です。
今回、展示のイメージをした時に真っ先にうかんだのが、彼らの絵と、野の植物との空間でした。一輪の花が咲くのは生命のエネルギーそのもので、それと同じように感じるままに絵を描くダウン症の人たちのエネルギーは生きることそのものです。草花がただあるだけで美しいように、彼らの感性もあるがままで美しい。美しさって生命(健康)そのものなのだなと。
アトリエを立ち上げる時に出会い、名前のもとになった、「素とは足すことも引くこともこともできないものです」という、川瀬敏郎さんの言葉が浮かびます。Atelier Sunoiro (=素の色)という屋号をかかげて3年たった今、素とは健康的なこころだと思うようになりました。
そう思わせてくれるダウン症の人たちと、身近に咲く植物をありがたく思います。展示をすることで、制作の場からダウン症の人たちのエッセンスを手渡すことができたこと、アトリエにとっても大切な一歩の日となりました。
お立ち寄り下さったみなさま、近くで、遠くで、応援して下さったみなさま、どうもありがとうございました。
普段のアトリエから離れて、「GOつくる大学」という場で、時々、講義をさせていただいています。大学といっても先生だけが講義をつくるのではありません。参加者の方たちと一緒にお互いに学び合いながら講義をつくりあげていく、誰でもが先生でも生徒でもある、新しい学びの場です。
私が担当しているのは、「一人ひとりのアート学」という講義です。「アート」と名前がつくとなんとなく身構えてしまうかもしれませんが、着たり、食べたり、住んだりすることと同じ並びにある、自分にとって無くてはならない「こころのうごき」と捉えてみませんか、ということをお伝えしたくて講義を行っています。先日4期目の講義がありました。6歳から80歳の方、12人が参加してくださり、一緒に講義をつくっていきました。
1限目はご挨拶。はじめにアトリエでのダウン症の人たちの制作の様子をスライドでお伝えするようにしています。ダウン症の人たちの感性を丁寧にお伝えすることで、感じるままを表現してみる、身構えずにゆったりと楽しい気持ちで描いたり作ったりしてみる、というエッセンスを共有したいからです。お伝えすることで、「うまく描かなきゃいけないという枠がとれた」、「とらわれず自由でいいんだな」、「ダウン症の人を見る目が変わった」という嬉しい声を聞かせていただくこともできました。
2限目はデカルコマニーでカード作りです。指を使って絵の具を塗りつけた紙を半分に折って転写させます。デカルコマニーの面白いところは、思った通りにならないところです。絵の具が混じったり潰れたり、紙を開くと、葉脈のような筋がうきでて、思いもよらぬ左右対称の模様が現れてきます。描こうと身構えなくても、絵の具を指でぽんぽんとおいてペタッとしてみる、遊びの感覚で絵ができていきます。
指では物足りず、チューブから直接だしてみたくなった。大作に挑む。
きれいな色のならび。あえてデカルコマニーにしなくても。
小さな指で丁寧に一つずつのこされた点。息づかいが伝わってくるようです。
こんな風にするのはじめてよ、と。
シンプルな手法でもできたものはそれぞれ。
3限目はコラージュで封筒作りです。たくさんの展覧会のフライヤーの中から、自分の気になった絵や写真や文字を切り抜いてはりつけていきます。メッセージを送る相手をイメージして、大事につくっていきます。
ひまわりを切りたい。
肖像画の中身をくり抜いて、お弁当にするそうです。
ビビッドなピンクで名前を刻んで。
真剣な眼差しが美しいです。
切り抜いたフォントのデザインがきわだっています。
草間彌生とミュシャの作品の一部を切り抜いて。ポップさとエレガント。
繊細さが伝わる封筒でした。
コラージュとドローイングでとっても素敵な封筒に。ABMTは私だけのサイン。
床の上で仕上げ。かっこいいのができたね。
4限目は静かにメッセージを書く時間です。お父さんに、お母さんに、友達に、こどもに、未来の自分に、パートナーに。こころの声をつむいでいきます。
重ねてこられた時間の重みと、日々を尊く感じられる気持ちが伝わってきます。
お互いにむけて書きあいっこです。
お友達にむけて、何通も書きました。シンプルなメッセージが胸をうちます。
5限目はみなさんの作品を壁に展示して、鑑賞の時間です。ひとりひとりの感性を感じあって、気持ちを共有していきます。手を動かして感じたこと、誰を想ってつくったのか、自分の中のストーリーを1人づつ作品の前で発表していきました。わずか30分間だけの展示ですが、それぞれの物語とあいまって、それはそれはあたたかくて素晴らしい空間になりました。
最後はメッセージを書いたカードを自分の大事な人に渡すというのが帰ってからの宿題です。時間がかかってもいい、郵送でもいい。今日の気持ちをきちんと渡して、授業はおしまいです。
この講義全体を通してお伝えしたいのは、誰しもが自分を内側から支えているこころの営みを持っていて、それが一人ひとりのアートだということです。講義では自分にとって大事な人にメッセージを書いて渡すことがゴールです。誰しも、家族だったり友人だったり恋人だったり、想うと胸があたたかくなるような、愛おしいような人っているものだと思います。その人を想っていることは、自然と自分の支えになっていること。そこに表現(デカルコマニーカード、コラージュ封筒、メッセージ)という光をあてることで、想いは手に取れるものになり、手渡すことでギフトになっていきます。
そこにアートの原始的な姿があると思うのです。
私にアートということを教えてくれた先生は、自分のための小さな作品をつくることで、小さなヒントのようなものを残せたらいい、と伝えてくれました。
「自分だけのこころの姿を人に正確に伝える術を手にすることができるように。」
「おそらくは人のつくりだすものが、もう『作品』とか『芸術』とか呼ばれることのないように。」
私が講義をする時にいつも頭の隅においている言葉です。
社会的立場を脱いで、裸になっても、なおもにじみ出るその人らしさ。その人だけの感性。それはパートナーであっても、親子であっても、友人であっても、誰も手を加えることのできない自然の領域に近いもので、その人がその人たるかけがえのないゆえんです。
一人ひとりの感性を感じあって認める場、自分だけのこころの姿を人に伝える場、それが、「一人ひとりのアート学」なのです。
夏の気配が感じられるこの頃。
この季節の植物のように、のびやかにみんな元気です。
気がつけばこの4月でアトリエも3歳になりました。
そんなタイミングで、ちょうど展示のお話をいただきました。今まで、すすんで展示はやってこなかったのですが、この建物に入った時、あ、ここに絵をかけたいな、きっといい空間になるな、とごく自然にイメージがわきました。ということで、アトリエ初の展示をしようと思います。
教会のようなこの建物は、1885年ごろに建てられた江津市の旧郵便局。青空と同じ色の柱と窓枠と白のコントラストがなんとも素敵です。歴史がつまったこのあたたかい空間で、ダウン症の人たちの持つ調和的な感性を感じて、リラックスしていただけたら嬉しいです。
会期は1日のみ、となります。島根県江津市の江津本町で行われる「ふらり」というイベントの日です。お近くの方も、そうでない方も、ぜひ遊びにいらしてください。
6月9日(日)10:00~15:00
島根県江津市江津本町周辺にて
詳しくは江津市観光協会のHPをご覧ください
https://gotsu-kanko.jp/archives/1019
最近ピタゴラスイッチにはまっているおとくん。アトリエの材料棚のどこからか木の玉をみつけては、にんまりとした表情を見せます。よく見ていますね。ちょうど溝のはいっている1メートル定規も自分で取り出して、組み合わせます。ごくごくシンプルな装置ですが、玉が転がる、ぶつかる、倒れる、入る、という一連の流れを、あーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら作っていきます。アトリエに来たらまずこれをやるのが習慣です。
玉をジャンプさせようとしてみる。
シュート!この笑顔!
以前は、この装置をつくるという習慣に代わっていたものは、建物を見て回るというものでした。押し入れという押し入れを開けて舐め回すように見る、そして入ってみる。アトリエに来たらいつもまずおとくんが一通りやること、それは波に乗る前の静かな儀式のようにも思えます。言葉はありませんが、「今日もここは変わらないかな、ちひろさんもついてきてくれるかな」と確かめているような気もします。落ち着いて、おとくんの中でOKのサインがでたら、一気に制作に突入です。ここからはあっという間です。
手が走る、走る、走る。
ぐっと集中している時、自分のいのちのリズムを刻んでいる。
うんとリラックスしている状態から、潮が満ちるかのように自然に制作に向かっていく瞬間に、いつもぞくぞくとした感覚を覚えます。ダウン症の人は「リラックス」がとっても上手です。上手というか、ただありのままの自分でいるから、身構えたり、力むことがありません。いつもの自分で「リラックス」しながら「集中」するという高度で絶妙なバランス感覚に、いつも尊敬の念を覚えるのでした。
えいきくんがコドモクラスに通い始めた春の頃、表の玄関を入るのもやっとでした。古民家ゆえ建物に入るとちょっと暗くて、雰囲気もなんだか違って、それが怖かったのだと思います。アトリエは建物の一番奥にあって、ちょっとした渡り廊下を越えていくのですが、そこまで行けたとしても渡り廊下の手前でとまって、一歩ひいてはアトリエの中を観察していました。
廊下を超えて部屋の中に入れるようになってからは、好きなマイケルジャクソンの曲をかけて踊りました。えいきくんはマイケルになりきるのがすごく上手いのです。踊りの途中、横からすっと絵の具セットと紙を差し出してみると、ごく自然に筆をとって、踊りながらリズムにあわせて描き始めた時の静かな喜びは忘れられません。
こうやって少しずつ、少しずつ、アトリエとの距離が縮まり、表現することに慣れていきました。
初夏のある日、ふすまの黒板にのこされていた絵(りんたくんが描いたドラえもんの絵ですけどね)をみて、「このおばけだれがかいた?」「えいきくんねー、おばけしってるよ?ゆうれいとか」「おばけはね、こわいよ」とぽつぽつ話し始めました。「そうなんー?そのおばけ見たいな!」何かの糸口が見えた気がしました。
僕たちの間にあるルートはなにかなとお互い探り合っていたのだと思います。「おばけ」だとお互い分かったその時から、えいきくんの世界が一気に開いていきました。
おばけの傘。さしたらいつもおばけと一緒にいられますね。
アトリエに来るとまずは黒板を埋め尽くします。初期は丸や楕円だったおばけが、今やこうもりにもなります。
「へんなのいっぱいでしょ?」
「次は絵の具したい!」おばけのあしあとです。
こうしてえいきくんのリズムで、おばけの絵をたくさん描いてきました。描く以外にも、おばけを語り、おばけと踊り、おばけを作り、いろんな表現をしてきました。
一人一人の制作を見ていると、自分のこころの姿を人に正確に伝えるためにあるのがアートなのだと思います。人にこころの姿を伝えられたとき、その人に伝えられた安心感や、自分から手放せた開放感が得られるのだと。制作に立ち会うということは、こころの姿を伝えようとする過程に寄り添い、その人の世界を一緒に見てみるということです。自分の気配はまず消して。
それは「この景色、一緒に見たよね。」と別の世界にいったかのような、深く潜ったかのような、なんだか心地よい一体感に包まれる感覚です。私がえいきくんと一緒に見た世界は、こわくないおばけだらけの世界でした。この先、たぶん、消えて、変わっていくおばけの世界を、今存分に表現しきることを大事にしたいと思います。
一人の子の内にある世界はどれほどのものでしょう。その世界をまっさらな目でみていくと、きっと私たちにとっても新しい世界が開いているような気がしてなりません。アトリエの中心にいるダウン症の人たちも、そうでないこどもたちも、制作を通して新しい世界への切符をいつでもこちらに提示してくれています。こちらがその切符を受け取ることができれば、思い込んでたいたものがさらっと覆るかもしれません。おもしろいねと一緒に笑えるかもしれません。きれいだねって一緒にため息をつけるかもしれません。そのために、自分に素直に、相手に誠実でありたいものです。
「こんにちは」と今にも言いだしそうなこの帽子はコドモクラスのみわちゃんが描いたものです。
海や川でいつも麦わら帽子をかぶっているおじいちゃんに、だそうです。
お辞儀をしたら、こんな顔が現れてくるなんて、なんともハッピーな帽子ですね。
この夏のアトリエ時間を象徴しているような一枚です。
おじいちゃん、喜んでくれたかな。
コドモクラスでは、一人ひとりが制作したいもの、やりたいこと、を大切にしています。
夏のアトリエでは、傘や靴、箱、土粘土、など素材を増やして、いつもより長くゆったりめに制作をしました。そんな時間の一部をご紹介します。
壁にかかっているカズくんの帽子をみて、ずっとやりたかったナギくん。帽子をいただけて嬉しかったね。
自分の分とお母さんの分と。「ふちを残してるのがおしゃれ」なのだそう。この後これで買い物に行ったら、素敵ですねと声をかけられたよって。
私は靴をやりたい。16.0サイズの白いかわいい靴を仕上げていきます。ゆめちゃんは手がとまることがない。感じると手が直結してます。
飾っておくのだそうです。ボタンの使い方がキュート。
大きい傘が動物園になってきた。迫力があるね。
絵の具は使わない。テープ、シール、アルミホイルを使って、中から見て楽しくなる傘を作っています。宇宙みたいだねって。
制作がおわったら、土粘土遊び。実際に石州瓦の原料になるものです。水をたくさん足して、「土の国が、水の国になったー!」
丸シールを満足するまではりこんでいきます。カイくんだから見えるものがあります。
まだまだはりたい。
傘の下が私のアトリエ。「ここからおてがみをだすからね」
「あ、月がくもにかくれているみたい!いくつもあるよ、お月さま」
傘の下から届いた字のないお手紙。ヒナちゃんの世界。
最小限の素材で無限の世界を作り出すイチくん。「探査機。これでなんでもはっけんできるよ」
土粘土に絵を描いてみたいな。これに直接絵の具やってもいいの?やってみよう。
あ、なんか指が踊ってきた!
自分の箱。いくつかの種類の中からあえて折り紙を選んだ女の子。折り紙という見慣れた素材が、新鮮に見えます。
めいっぱい自分のための制作時間を過ごして、作品を大事そうに抱えて帰る子、やりきってもう作品のことは振り向かない子、それもそれぞれです。
「在るものを在るがごとくするのは、ある程度訓練すればできる。無いものを在るようにするところに、その人らしさが出る、そこがその人の表現だよ」
アトリエがいつもお世話になっている画材屋の店主の言葉が浮かびます。
在るものを在るように描かれたものが上手な絵であると思い込んではいないだろうか、そういう目線で無意識に作品を見て評価していないだろうか。一人一人まったく違っている感性を、大人のものさしで知らぬうちに判断していていないだろうか。
感性は、誰も手を加えることのできない、自然の領域に近いものだと思います。
それこそがその人たる所以、かけがえのないものであるはずです。そこには人の評価や良し悪しが入り込む余地がないのだと、ただ認め合うものだと思います。
ダウン症の人たちにとっても、そうでない人にとっても、誰でも無い自分らしさ、素の感性が思いっきり表現できる場であり続けたいと、あらためて思う、夏の時間でした。
暑かった今年の夏。カメラのデータを見返してみれば、たくさんの笑顔と表現がありました。
Sunoiroクラスでは、カズくん、オトくん、リンタくん、ヤエちゃん、ジョウくん、そして新しく加わったサチコさん、一人ひとりが素のままの自分で過ごし、制作をしていきました。
普通、素の自分でいることは難しいことだと思います。なぜなら、相手がどう見るか、感じるかを意識してしまうから。
でも、ダウン症の人たちは、ごく自然に素のままです。
個々の性格や、環境の違いからうまれたものもありますが、本来の彼らに共通している素というのは、人のこころを解きほぐしていくような、調和の感性をもっているということです。
ダウン症の人たちが素でいてくれるから、こちらも真剣に素です。
真剣に素というのは、あなたがどこまでもあなたでいるように、私も何も持たずにどこまでもついていくよということです。
言葉を交わさない、あ・うんの約束のような、確かなものをお互いに感じながらアトリエでの時間は流れていきます。
飽きることなく木の球を転がして、「シュート!」と叫ぶ、遊び上手なオトくん。
描きはじめると、鋭い線が一本通る。カズくんの繊細さ。
描きたてのより鮮やかな絵に、午後の光がやさしく入ってきれい。
またこんと(こんど)しよう。
初対面の2人。リンちゃんがやさしく「いくつ?」とたずね、ヤエちゃんが手で答えます。あ、5歳です。
なにもかもめいっぱい。
花紙を入れてみる。でもこれは「いや。みずがいいの!」
クロスを布団にして優しく寝かせる。これもリンタくんの表現です。
さっちゃんの初めての絵。夏のようなさわやかな色使いです。
ある人が見たら、いつも同じような作品、時間に見えるかもしれない。でも、ひとつとして同じものはありません。
作品は、アトリエでの時間を自分らしく生きた証。その時々のこころでしか描けない絵です。
学校や作業所や家でどんな揺らぎがあっても、ここに来ればいつもの自分に戻ってこられる。アトリエはそういう場所。
今までの作品を整理しながら眺めていると、一人の人間の内にあるこころの豊かさに、感嘆と尊敬と感謝の気持ちでいっぱいになるのです。
水が好きなりんたくんにとっても、とびきり気持ち良い季節がめぐってきました。
アトリエに来ると、なにはともあれ、まずおやつ。
大好きなドーナッツとお茶を縁側に運び、昼下がりの陽射しに包まれて
お茶タイムがはじまります。
「りんたくんね、ぼうりんぐいったよ!びゅーん、がちゃーん!」
「ぴーぽーいったね、あっ、ねこー!かわいいー」
「あ、どーなつ、もういっこー!」
周りの音や気配に反応して気ぜわしくも、なんとものんびりな始まりです。
おやつを食べて落ち着いたら、水をもとめて外の水道へ。
用意したタライを見つけると、何も言わずと、よしやるか!の勢いで服を脱ぎ始めます。
脱がずにはいられない!
いい顔してますね
水がたらいに勢いよくぶつかって出る音も、水面も、魅力的
あーもう!水ってきもちいい!って声が聞こえてきそうです
絵の具を落として水が変化していく様子をじっと見つめます
透明な水が何色にもなる不思議、定まらないかたちのおもしろさ
遊んだあとは、制作の時間。最近お気に入りの墨をつかって、さっきの水あそびを反復するかのように描きます
りんたくんを側でみていると、「快」という言葉が浮かんできます。
植物が本能的に光にむかって伸びていくように、
自分の中の心地よい感覚に、まっすぐに、世界へひらいていく。
逆に、「不快」なことは人にも自分にも、決してしない。
これってとってもシンプルで気持ち良い生き方なのではないでしょうか?
それがごく自然にできるダウン症の人たちは、幸せに生きる達人だなと思います。
彼らの世界を知ることが、幸せを考えるひとつのヒントになると思う、
アトリエの日々です。
コドモクラスのこと
アトリエではダウン症の人たちのSunoiroクラスの他の時間で、コドモクラスを行っています。素材に幅をもたせてはいますが、基本的にはSunoiroクラスでダウン症の人たちの制作に関わる姿勢と同じ気持ちで、場をつくっています。一人一人のリズムと「素のまま」の感性を大切にするということです。
この春、アトリエに通っている子どもたちの中に何人かお引越しの子がいました。
ちーちゃんとわこちゃん。普段は同じ幼稚園に通う1歳違いの仲良しさんです。
いつものクラスは一人づつ、じっくりの時間ですが、アトリエで2人一緒の時間を過ごすことにしました。
「2人でアトリエでやりたいことある?」
「うーん」「うーん」・・・「うーん」「うーん」・・・
「じゃあちひろさんがこれはどうかな?って言っていい?」
「うん!」
「今日は2人だからできることはどう?お互いを描きっこしてみない?こんな大きい紙あるけどー」
「やるやるー!」
そんな会話で始まった最初で最後の2人アトリエ。
お互い体の線をなぞっていきます。くすぐったいね。
手の先もさわられて、こそばゆいけど、なんだか嬉しい。
わたしは絵の具で。
わたしはクレヨンで。案外大きくて、「きつくなってきた」の声にすぐ隣からかけつけます。
「こんどはちひろさんをかくー!」といって。
はだいろってどんな色?赤・オレンジ・黄・黄緑・・自分たちで作った色を手につけて色チェックです。
エプロンを描いてたら絵の具のしぶき跡がなんだかとても楽しくなってきた!
紙がやぶれても、まだまだ2人は描きつづけます。
それがやりたいんだったらダンボールにしよっか。丈夫な素材を前に踊る2人。
そうか、2人でこれがやりたかったんだね。
2人だからできたね。
アトリエで過ごした子どもたちが、どこへ行っても、まわりがどうあろうとも、私は私。そのままの自分でいいんだと自分を受け入れる力をもって過ごせるようにと願っています。
この先、自分の絵を、「何を描いているかわからない」と言われる日がくるかもしれない。その時にこれが今の私なのだと言えるように。
またその時周りの大人たちが、絵が正しいとか間違っているとかではなく、上手い下手でもなく、丁寧とか雑でもなく、のびのびとか細かいでもなく、分かる分からないでもなく、そういう全てのものさしを一旦置いて、その子の今そのままのこころの姿だと受け取れるように。
ちーちゃん、わこちゃん、元気でね。
またいつでもアトリエにおいでね!
冷たい空気が一気にゆるんだ日の夜、富士ゼロックスの端数倶楽部でアトリエのお話をさせていただきました。
社員の方々をはじめ、ダウン症のお子さんをお持ちのお母さん、小学校の図工の先生や、デザイナーの方、子どもの創造の場を考えたり作ったりされている方、また「島根」というキーワードでつながった方など、様々な方にお話を聞いていただく会となりました。
アトリエで大切にしていることは、ダウン症の人たちが自分のリズムで心地よく制作できる場であるということです。
彼らが最大限リラックスして、そのままの感性で表現されたものは、美しい。
それは植物に感じる素の美しさと近いような気がします。
そう感じられる場であるように、環境(素材・空間・人)を整えることを大事にしていることをお伝えしました。
たくさん撮った写真を見ていただきながらお話をしていたら、「繋がっていく」という言葉が浮かんできました。
10年前にダウン症の人たちのアトリエに出会ってしまった日から。
ダウン。私。島根。アトリエ。東京。
ダウン症の人たちのエッセンスが少しでも伝わり、繋がっていけるのなら。
今日まで辿ったひとつづきの線のはじっこを確かめて、見失わないように握りしめた、
そんな一夜でした。
写真は、お話の後のワークの時のものです。
「絵の具を使うのが中学校卒業以来の方は?」とお聞きしたら、大半の方の手が上がりました。
何をどう使っても、描いても、描かなくてもよく。
ただ「どうぞ」という言葉だけをお伝えしたら、こんな感じになりました。
お仕事帰りスーツ姿の方が、ちょっと絵を描いてこころを遊ばせている光景っていいな、平和だなと思いながら、ひとりひとりの姿に、感性の自由を感じました。
今回の機会を作って下さった、山口さんご夫妻、またご参加下さった皆さま、どうもありがとうございました!